蓄音盤倉庫 - INDEX

このページはお気に入りのレコード/CDについてだらだら蘊蓄を語ろうという、いわば嫌われ者の吹き溜まりです。
基本的に誰のどのような文章でも掲載していく方針ですので、好きなアルバムについて自分も何か書いてみたい、書かせろ、
書かなきゃ死ぬという方は原稿を管理人まで送ってくだされば、随時バシバシと掲載させて頂きたく思っております。



 ■ 『ビストロン』 核P-MODEL
 ■ 『賢者のプロペラ』 平沢 進
 ■ 『IN A MODEL ROOM』 P-MODEL
 ■ 『ギネオベルデ(青いバナナ)』 あがた森魚
 ■ 『ハルメンズの近代体操』 HALMENS
 ■ 『Tons of Sobs』 FREE
 ■ 『マニア・マニエラ』 MOON RIDERS
 ■ 『SAKAMOGI SONG』 METROFARCE
 ■ 『EXITENTIALISM 出口主義』 THE BEATNIKS



vistron

 ■ ビストロン / 核P-MODEL / 2004年




1二重展望3
2Big Brother
3アンチ・ビストロン
4崇めよ我はTVなり
5巡航プシクラオン
6暗黒πドゥアイ
7パラ・ユニフス
8Space hook
9ビストロン
10アンチモネシア



 現在“培養中”として活動を休止しているP-MODEL。その復活に先駆けて、平沢進が単身
 起動させた「1人ユニット」である“核P-MODEL”による1stアルバム。旧P-MODELから
 平沢ソロまで、これまでそれぞれの局面によって使い分けていた音楽性を均等に配置した
 疾走感に溢れつつも「≠ポップ」な会心作。

 本アルバムは培養器の中で観察されていた謎の物質(生命体?)「アシュオン」の核とも
 呼べる中心部に突如生じた能動的活動パターンに「意志」を見たヒラサワが、一人黙々と
 パターンの翻訳に没頭した結果制作された翻訳アーカイブであるという設定で、タイトル
 の「ビストロン」を始め、全編通して至る所「これでもか」と言うほどヒラサワ用語に
 満ち満ちているのが特徴。ちなみにタイトルの「ビストロン」とは、自律的なアイデンティ
 ティ確立を促す自然界に遍く存在する物質で、それに対し「アンチ・ビストロン」とは、
 特定の価値観に偏った他律的アイデンティティを捏造するためマスプロダクトに混入された
 物質。80年代においてP-MODElが音楽によって放っていたのが「アシュオン」であり、その
 「照射実験」によって「アシュオン被曝」した者は、体内で起こった「πドゥアイ現象」
 により新しい価値観・世界観に目覚めるはずだったのだが、この「アシュオン」は「アンチ
 ・ビストロン」に非常に弱く、世界規模で増殖した「アンチ・ビストロン」のため、現在
 では殆どの「アシュオン」が死んでしまったらしい(P-MODELが凍結されたのもこのため)

 言ってる事だけ聞いてるとほとんど「電波」な人だよなー(苦笑)。

 その他にも曰く、『パラ・ユニフスは「アンチ・ビストロン」による人格支配を解くものの
 半面「致命的な認識障害」「自己同一性障害」をもたらす可能性があるとされ、そうした
 パラ・ユニフスによる障害を取り除くのが「非局所性フック」である』だの、曰く『90年代
 に入りスピード・チューブ内での加速実験の結果生まれたのが「γアシュオン」で、これは
 強力な「フュードリン共鳴」を引き起こす』だの、あと『回帰性磁気プシクラコジン』だの
 『類心的ソリトン』だのと、素敵なタームが満載。ほとんど「アシュオン語」のみの歌詞
 とかもあり、かなりイっちゃった内容で微笑ましい。(でもホラ芸風ですから。たぶん。)


 サウンド面では完全にP-MODEL寄りで、溢れるピコピコ音の奔流にデストロイ・ギターの
 爆音、コブシをぐるんぐるん回しつつ朗々と歌い上げる歌唱と、まさにヒラサワの独壇場。
 初期にあった攻撃的かつ直接的な社会風刺や批判性は無いものの、社会的なメッセージ色は
 珍しく濃厚であり、婉曲的な表現に変換してはいるが言っている事自体はかなり痛烈で皮肉
 に満ちた内容である。ここで掲げられる音楽の巨大産業化と大量消費、及び無害化を憂い、
 既成概念を破壊するというテーマは初期P-MODELの頃から、自ら「
反ギタリスト」を標榜し
 現状の音楽の在り方に警鐘を鳴らしている現在の平沢進まで通底しているものでありながら
 従来のソロやP-MODELの作品からはあまり伺えなかった面だけに、非常に興味深い。


 90年代以降の平沢進の変遷の中で、最も興味深い点は「声」に対するアプローチだろう。
 88年に発表されたP-MODEL7枚目のアルバムである「ONE PATERN」あたりから既にその
 兆候は見受けられるのだが、ポップ/ロックの歌唱とは全く異なる次元での「声そのもの」
 に対する執着が前面に押し出されてきている。この頃、戸川純など「歌唱」及び「声」自体
 を前面に押し出している人々と頻繁にコラボレーションしているのも見逃せない。
 この変遷の要因は、恐らく87、8年頃のP-MODEL凍結直前期からファーストソロまでの間
 における平沢の民族音楽もしくは神話・民話的世界観への傾倒が挙げられると思われるが、
 古代から連なる発話・発声による力、即ち言霊への信仰などに代表される「声の持つ力」
 を意識した考え方に、80年代から「テクノ」という媒体を選びつつも「歌唱」という行為
 を常に止めなかった平沢がに行き付いたのは決して偶然ではないだろう。

 民謡などを始め、かつて日本における音楽がすくい上げようとしていた「声の持つ力」、
 祝詞や祈りの「声」にも通呈するシャーマニックなその「力」自体に着目し、「テクノ」
 的世界観、つまり楽器の持つ生々しさを徹底的に排除しサンプリングと打ち込み音で構成
 された何処までもドライで非リアルな空間において「生身の身体」または「リアルな自己」
 の象徴である「声」・朗々と響き渡る「歌」を対比させていく現在の平沢のスタイルは、
 現状におけるテクノというジャンルに本質的な意味での「言霊」の力を導入しようという
 試みであり、安易な「癒し」などという言葉を初めから寄せ付けない強力なフィールドを
 確立している。



MARU




propeller

 ■ 賢者のプロペラ / 平沢 進 / 2000年




1賢者のプロペラ
2ルベド(赤化)
3ニグレド(黒化)
4アルベド(白化)
5円積法
6課題が見出される庭園
7達人の山
8作業(愚者の薔薇園)
9ロタティオン(LOTUS-2)
10賢者のプロペラ-2



 超絶変態テクノプログレバンド「P-MODEL」の核、平沢進による2000年発表のソロ作品。
 「錬金術」をモチーフとし、アジア各地の民謡をサンプリングして音源とするなど神話的・
 フォークロア的世界観をメインに据えたサウンドに、平沢進特有のSF的/テクノ的世界観
 が絡み合い融合していく展開は、非常に高密度かつスリリングで素晴らしい。

 現状の平沢進のソロ・ワークにおけるサウンドには、従来のP-MODELのような圧倒的な
 ピコピコ・グルーヴ感は存在しておらず、その「楽曲」自体もデビュー当時のP-MODEL
 にあったような、音楽によるテロを断行しているような硬質で暴力的な実験性は皆無で、
 曲はあくまで「曲」として存在しておりその構成が崩壊するような事は無い。それゆえ
 古くからのP-MODELファンから「ヌルくなった」と揶揄されることも多々あるわけでは
 あるが、それは果たして本当にそうなのだろうか?確かにこのアルバムにおける平沢進
 の音楽は安らぎに満ち、聞くものの精神に心地良く響くものとなっており、従来あった
 様な攻撃性/実験性からはほど遠い地点に存在している事は間違いない。しかしながら
 このアルバムに満ちている独自性・音楽的な革新性は、未だに手垢の付いた「実験」を
 繰り返し「前衛」を気取っているそこらのアーティスト達の作品と比較しても遥かに
 エッジが尖っており、攻撃的な形態ばかりが「アヴァンギャルド」ではないことを証明
 して見せているように感じる。

 かつて平沢は、P-MODELによる膨大な音楽的実験の果て集大成として発表されたアルバム
 「太陽系亞種音」において「全ての実験/調査は終了した」と宣言した。事実上プログレ
 を体現する存在としてのP-MODELはここで終了し、あとは実験によって得られたデータを
 その都度必要に応じて配置していくのみという状況になったわけで、つまるところそれは
 「持つ素材を拡張していく」方向から「手持ちの素材を組み合わせ如何にコラージュして
 ゆくか、思考実験を繰り返す」という姿勢に移行したという事に他ならない。

 それまでのP-MODELにおける「実験」とは、言ってしまうならば極めて判りやすい形での
 「解体と再構築」及び「音楽の再解釈/再定義」であり、それゆえに「先鋭的かつ破壊的な
 パンクバンド」としてのP-MODELに価値を見いだしていたファンの目から見るとそういった
 「実験性」自体をバッサリ切り捨ててしまう平沢の変化は「停滞」と取られても仕方のない
 事なのかもしれない。しかしそのような声に対し「かつて[ Potpourri ]を作ったときにも
 ファンがごっそり離れた」と飄々と笑いつつ、楽曲のmp-3配信や観客の決定によって結末
 が幾通りにも変化してゆく「インタラクティヴ・ライブ」など、新たな試みを積極的に展開
 していく現在の平沢の姿から、以前の「やんちゃ」な地平からさらに攻撃の狡猾さを増した
 先鋭的なメディア・テロリストたる極めて物騒な横顔がチラチラと覗いている様な気がする
 のは、果たして私だけだろうか。


 個人的には、たまにはソロでも判りやすく「デストロイギター」などを派手に炸裂させて
 欲しい気ようなもするのだけれど、まあそれは核Pの方で堪能しましょうという事で。



MARU




model_room


 ■ IN A MODEL ROOM / P-MODEL / 1979年




1美術館で会った人だろ
2ヘルス・エンジェル
3ルームランナー
4ソフィスティケイテッド
5子供たちどうも
6カメアリ・ポップ
7サンシャイン・シティ
8偉大なる頭脳
9ホワイト・シガレット
10MOMO色トリック
11アート・ブラインド



 ヒカシュー、プラスティックスと並びテクノポップ御三家と称されていたP-MODELによる
 ファースト・アルバム。チープでカラフルなシンセ音に彩られつつ奇妙に歪んだサウンド、
 感情移入を完全に拒絶する硬質な歌詞、どこまでも暴走していきそうな勢いの素っ頓狂で
 ヒステリックなヴォーカルなどなど、あらゆる意味で「ニューウェイヴ」の要素を踏襲
 しつつも、例えばプラスティックスに見受けられるような「一発ギャグ的な格好良さ」に
 走ろうとする姿勢は微塵も感じられない。(もっとも自分としてはそういう「いかにも
 ニューウェイヴ」なユルい姿勢も、もちろん好きなのではあるが。)

 その最初期の段階からP-MODEL(というか平沢進)の思考はニューウェイヴという潮流を
 取り入れつつも「独自の表現」という方向に傾いており、この時期大量に溢れていた他の
 バンドとはサウンド的にも思想的にも明確に一線を画している。かつてキングクリムゾン
 等をカバーしていたプログレ・バンドであるという出自や、3rdアルバムとして発表された
 超・問題作「Potpourri」を引き合いに出すまでもなく、この当時平沢が意図していたのは
 「プログレの再構築」即ち、プログレッシヴ・ロックという表現手法に内在していた思想
 自体が形骸化し「プログレという1つのジャンル」となり果てた状況において尚、自身の
 表現においてプログレの方法論(=実験と発展)を実践し続けていくという事であり、真
 の意味合いにおいてプログレッシヴ(アヴァンギャルド)な存在としての行動単位を確立
 することであった。つまるところP-MODELは「ポップなテクノ・バンド」であった事など
 一度もないわけで、この時期におけるパンク/ニューウェイヴへの接触もまた、従来の
 いかにもプログレ的な「重さ」から脱却し、よりアクティブな姿勢で実験を継続していく
 ためのブースターとして利用しただけに過ぎないと言えるかもしれない。

 いわゆる「解体と再構築」という80年代初頭のあらゆるメディアを席巻した概念を独自の
 アプローチであからさまに導入しつつ、彼は暴力的とも言える方法論とその実践によって
 現状の音楽メディアとその周辺環境の完全な破壊を目論んだ。ニューウェイヴという時流
 に乗った多くの表現者たちが表層的な思想と戯れ「剽窃的な試行錯誤」に明け暮れるだけ
 であった80年代当時において、平沢進という人物の存在は「音楽による思想実験」という
 名の爆撃を繰り返す極めて危険なアナーキストであり、最も凶悪なテロリストであったと
 断言してしまっても決して過言ではないだろう。


 なおヒラサワによる爆撃は、時代と共にその形態を変えつつ現在も継続中である。


MARU




guineo


 ■ ギネオベルデ(青いバナナ) / あがた森魚 / 2005年




1少年カリブ
2銀星
3矢車草の夢みたいなこと
4BCAD トラロックで踊れ!
5黄昏歌劇 (たそがれオペラ)
6陽は昇る星は降る
7それでも一緒に
8モリブ監獄 (nokotta nokotta)
9銀星 II
10Pepitaの児 (香ル港)



 2005年に発表されたあがた森魚氏の最新作。これまでもフォーク・ロックから無国籍、民族
 音楽にテクノポップにタンゴと様々なフィールドを縦横無尽に行き来しつつ、ジャンルに埋没
 しない独自の世界観を構築していた人ではあったけど、今回はその中でもかなりの新展開。
 つーか、この完成度の高さ・キモチ良さは何事デスカ?

 かの名作「バンドネオンの豹」においてタンゴを取り入れつつも単なるジャンルの模倣として
 終わるのではなく、その音を消化・吸収したうえで完全に彼独自の音楽として成立させていた
 ように、ドミニカ共和国で現地の音楽家達を交えつつレコーディングされた今作もまた「他に
 どこにもない・誰も体験したことのない」まさにあがた氏以外では誰にも作り得ない唯一無二
 の音楽となっており、あがた森魚という音楽家の持つ底知れない創造力を改めて再認識する事
 と相なりました。

 「20世紀の中頃に生まれた僕は、この21世紀の初頭にあっては、旧世紀に熟してしまった
  バナナでしかないかもしれない。けれども、この『ギネオベルデ』を形にして、自分は
  まだまだ小さくて堅くて何も知らず、この宇宙の片隅におののいている青いバナナの
  ようなものにもおもえる。 」
                          (あがた森魚ライナーノーツより)

 なんて、こういうことをサラリと言いつつ、さらに新しいフィールドへと果敢に踏み込んで
 いける50代って本当に格好良いと思いますね。というか、こんなにワガママに自分の好きな
 方向へと歩いていける表現者もちょっと珍しいんじゃないだろうか?かくありたし。

 自分的にはしっとり始まる1曲目「少年カリブ」および不思議なリズムの2曲目「銀星」が
 ガッツリお気に入り。暑い夏の昼下がりにクーラー切って窓全開で、お酒などロックで
 ちびちびやりつつ、ゆったりと聴きたいアルバムですね。


MARU




halmens


 ■ ハルメンズの近代体操 / HALMENS / 1980年




1昆虫群
2暗いところへ
3フリートーキング
4電車でGO
5モーター・ハミング
6ライフ・スタイル
7キネマの夜
8リズム運動
9私ヤヨ
10レーダー・マン
11アンドロイドな女
12ボ・ク・ラ パノラマ



 サエキけんぞう・石原智広・比賀江隆男が在籍していた少年ホームランズに8 1/2の上野耕路と
 泉水敏郎が融合して結成された伝説のニューウェイヴバンド「ハルメンズ」。今作は彼らが鈴木
 慶一をディレクターに迎え、1980年に発表した1stアルバムである。発表から四半世紀近く経過
 しているものの、サエキけんぞうのヴォーカルの異様な格好良さ(作詞家や司会者としての彼しか
 知らない人間は今すぐ認識を改めるべし)や、後に戸川純とゲルニカを結成する上野耕路の先進性、
 SFや文学・アートのエッセンスをちりばめた、ポップかつアングラで不可思議な詩世界といった
 「ここにしか存在しない強烈な個性」はノスタルジーや懐古趣味だけで評価されるものではなく、
 21世紀となった今聞いても非常に新鮮で奥が深い。

 楽曲的にも、のちに戸川純のソロアルバムにも収録される「昆虫群」「レーダーマン」を初め、
 Yapoosライブの定番である「フリートーキング」や、今やゲームのタイトルの方が有名になって
 しまった「電車でGO」など捨て曲皆無の高密度テクノ・ポップが展開し、好き者にとっては失神
 寸前の会心作となっているが、中でも全12曲中6曲もの楽曲を手がけているドラマー・泉水俊郎
 の作詞・作曲能力の高さは特筆に値するだろう 。「少年達」「ナルシスティック」「踊れない」
 「キネマの夜」「ラブクローン」などなど、8 1/2から初期Yapoosあたりの周辺に漂う独特の
 センスというか空気感はこの人の存在あってのものなのだと実感させられる。

 個人的に「レーダーマン」は戸川バージョンよりもこちらの方が断然好き。あとサエキVo.版の
「電車でGO」及び「昆虫群」は"来世紀まで残したい曲"ベスト1だったりする。


MARU




exit


 ■ Tons of Sobs / FREE / 1968年




1Over the Green Hills (Pt. 1)
2Worry
3Walk in My Shadow
4Wild Indian Woman
5Goin' Down Slow
6I'm a Mover
7Hunter
8Moonshine
9Sweet Tooth
10Over the Green Hills (Pt. 2)



  知る人ぞ知るブリテッシュハードロックバンドのひとつ、フリーの記念すべき1st。
  メンバーはポール・ロジャース(Vo)、ポール・コゾフ(Gt)、アンディ・フレイザー(b)
  サイモン・カーク(ds)の4人。フリーはポール・ロジャース(ポールが二人なんだよなぁ)の
  卓越したボーカル、ポール・コゾフの「泣き」のギターがウリなのですが、なによりアンディの
  ベースが天才的。ベースの音によ〜く耳を傾けているとよく分ります。とにかく個々の力量が
  文句なしに高いバンドです。

  本作品はほとんどブルースの曲中心でコゾフの泣きわめくギターに、もうこの頃から名人レベルの
  ロジャース節が炸裂しています。作品のハイライトはやっぱり7.ではないでしょうか?後半の
  盛り上がり方なんて鳥肌モノです。

  このバンドの曲を一言でいうとにかく「重い」。しかも「暗い」。
  このときサイモンは20歳、ロジャースは19歳、コゾフ18歳、そしてアンディはなんと16歳!
  どうして20歳も行かない若造たちがこんなに暗くて重い音を出せるの!?
  当時の人もそうだと思ったろうが、今でもホントに信じられない。

  個人的オススメは3.、7.、9.です。
  このフリー、個人的ベストバンド3本の指に入るくらい大好きです。


ZEP




maniera


 ■ マニア・マニエラ / MOON RIDERS / 1982年




1Kのトランク
2花咲く乙女よ穴を掘れ
3檸檬の季節
4気球と通信
5バースディ
6工場と微笑
7ばらと廃物
8滑車と振子
9温和な労働者と便利な発電所
10スカーレットの誓い



  ムーンライダーズが1981年に制作した6枚目のアルバムにして、何も知らない純朴な中学生だった
  ワタクシを完全にニューウェイブ街道まっしぐらの「10年遅れて生まれてきた奴」にしてしまった
  罪な一枚。当時の最新マシンであったROLAND.MC-4を導入し本格的に打ち込みを開始した記念碑
  的な作品ではあるが、その過度に実験的な内容のためレコード会社と対立し、長い間オクラ入りに
  なってしまったという曰く付きのアルバムでもある。翌1982年、当時としてはまだ珍しかったCD
  で発売されるもあっという間に廃盤、しばらくの間封印された後、86年にキャニオンからようやく
  再発という紆余曲折っぷりもまさにこのバンドの存在自体を象徴するようで、2004年現在の視点
  から振り返るとなかなかに興味深いものがある。

  作品全体としては独の芸術家ヨゼフ・ボイスが発した言葉”薔薇がなくちゃいけない”に触発され
  「薔薇と工業社会」を全体のモチーフとしたコンセプト・アルバムの体裁を採っており「有機物」
  と「無機物」「自然」と「科学」「色彩」と「モノクローム」といった対立する2つの項目を対比
  させていくことで、蔓延する楽観的進歩主義に警鐘を鳴らし、現代社会に生きる人間の“在るべき
  スタンス”を模索するといった構成となっている。とは言え、ここで彼らの提示する主張は決して
  単純な科学・文明批判的ポジションに立脚するものではなく、時代の発展と共に繰り返し発生する
  ムーブメントや技術革新といった“波”に乗りつつもそこに流されることなく自らの足場を確立し
  ジャンクアートを制作するネオダダ作家のように、無機的な廃物の中にも「美」を見出せるだけの
  柔らかな感性を持ち続けることが重要だとするものである。展開されるサウンド自体は全編通して
  インダストリアル系の音を思わせる金属質の重厚な響きや機械的な脈動音、背景に溶け込むように
  響く“温度の低い”ボーカル、感情を抑え極度に記号化された歌詞など、無機的でモノクロームな
  空気感に包まれているのだが、むしろそのような構成であるからこそ、そこに咲く“薔薇”つまり
  内在する有機的な感性は、より一層の鮮やかさで聴く者の心に焼き付けられる。

  このような希有なコンセプト・アルバムが生みだされた経緯に深く影響を及ぼしている点としては、
  制作の時期が高度経済成長を抜け、安定した経済から発生する余剰が新たな歪みを生み始めていた
  80年代初頭であったという時代性と、バンドの中核を担っている慶一/博文の鈴木兄弟が経済成長
  真っ只中であった羽田の工業地帯で育ってきたという地域性が挙げられ、それ故にこのアルバムは
  ムーンライダーズというバンドのみならず、日本におけるテクノ・ニューウェイブ系の歴史の中で
  最も「80年代日本の空気感」を表現している作品に成り得たと言えるのだが、しかしながら今作で
  主題として何度も現れる「バラがなくちゃ生きてゆけない」という主張それ自体は、時代や環境と
  いった共時的な部分を超えて21世紀となった現在においても通用する本質的な問題意識を象徴する
  ものであり、むしろメディアが極度に多様化した反面、情報過多による消化不良を起こしつつある
  現在という時代だからこそ、色褪せることなくその輝きを増しているように思われる。




  誰よりも先に 旅の支度終えた今
  Kのトランク あの唄を
  連れていこう
  I Can't live without Rose
  バラがなくちゃ生きてゆけない


  (Kのトランク)


MARU




sakamogi


 ■ SAKAMOGI SONG / METROFARCE / 1982年




1SAKAMOGI SONG
2アルルカン急行
3穴ぐらの夜、週明けの朝
4凍結少年*
5CHICKEN IN THE KITCHEN*
6INSTANT ENEMY*
7ZAYLA*
8ガリヴァーの海
9消息不明の子供達
10MISTRAL
11SECRET NIGHT
12BASILISK
*…再発CD盤のみ収録



  メジャーとインディーズの境界を行きつ戻りつ、幾多のメンバーチェンジやスタイルの変遷を繰り返し
  ながらも現在まで衰えることなく活動を続けている「アンダーグラウンドの裏番長」メトロファルスの
  メジャーデビュー前1981年から翌年にかけて発売されたEP盤を編集し1枚にまとめたアルバム。今回
  紹介しているのは95年にテイチクから再発された未収録曲を含むCD盤だが、大友克洋によるジャケット
  イラストはオリジナルのまま再現されている。

  今でこそアイリッシュだったりファンクだったりポルカだったり江戸前だったりと、ごった煮的で奇怪な
  (褒め言葉)音楽を演っている彼らだが、このアルバムが発売された当時はカッティングギターやスラップ
  ベースの効いた初期XTCを思わせる疾走感溢れるサウンド作りをしており、まさにニューウェイブ真っ只中
  という感じでちょっと微笑ましい。

  しかしながらそういった『時代の熱気』に包まれながらも私小説的な「自分語り」を一切排除した戯曲的な
  詩世界や、唯一無二とも言える伊藤ヨタロウの変幻自在ヴォーカルといった他の誰とも比較できない独自の
  スタイルはこの時点で既に確立されており、この時期に出現しては消えていった他バンドとはやはり一線を
  画している印象を受ける。マイペースで行くあまり常に類型や流行からはみ出し続け“異形のロック・バンド”
  とまで呼ばれるそのアクの強さは到底万人に受け入れられるものではないだろうが、反面、如何に時代が
  変わろうと音楽的なスタイルが変わろうと初めから“異形”であるが故にメトロはあくまでもメトロであり続け
  デビューから20年以上経た現在においてもなお、猥雑な都市の裏路地を縦横無尽に徘徊していくかのような
  特有の空気感は全く失われてはいない。

  

  懐かし友よジャン・リャパリュウ これがおまえの夢見た地さ
  死にぞこないの海辺まで 駆けて行け息もつかず
  怒りをもって弓をひけ 行き場のない袋小路
  聞こえてくるぜあの唄が 笛吹きの古いメロディー
  Please, Please, Please don't Cry 泣き寝入りだけはするもんかい!


  (SAKAMOGI SONG)

MARU




exit


 ■ EXITENTIALISM 出口主義 / THE BEATNIKS / 1980年




1Le Sang du Poete
2No Way Out
3Ark Diamant
4Now And Then.....
5Loopy
6Une Femme N'est Pas Un Homme
7Mirrors
8Le Robinet
9L'Etoile de Mar
10Inevitable
11River In The Ocean



  YMOの高橋幸宏とMoon Ridersの鈴木慶一によって結成された(一部の人間には)夢のようなユニット
  THE BEATNIKSの1stアルバム。歌詞・サウンドはともにやや陰鬱で硬質だが、アルバム全体を被う
  “未来に対する希望よりも現状の閉塞感から脱出する方が先決”という神経症的でピリピリするような
  緊張感を漂わせた空気からは、同じテクノポップではあるのだけれどYMOなどとは全く異質の方向性を
  感じさせ、今となっては却って先鋭的な印象を受ける。(歌ヘタだけどね)

  またExistantialism(実存主義)をもじってつけられたタイトルからも見てとれるように、到るところに
  哲学や文学・映画からの引用が散りばめられてはいるものの、これといって大袈裟なメッセージを声高に
  叫んだりするわけでもなく様々な記号をあくまでコラージュの素材として組み合わせ「ちょっと知的で
  お洒落な言語実験」的スタンスを維持しつつ飄々と文化の表層を横切って行くあたり、一筋縄では
  いかないというか何というか、非常にクールで小気味良い。

  個人的には『出口無シ、袋小路ナンデス』というフレーズが脳内でループする2曲目“No Way Out”と
  7曲目の“Mirrors”がお気に入り。

MARU




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